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東福寺本坊庭園のご案内

 
南庭

南庭のこと

特徴的な石組のこと

方丈の南側であるが、ここでは日本庭園における定型的な表現方法である、蓬莱神仙思想を中心とした意匠形態となっている。蓬莱、瀛洲、壺梁、方丈の四神仙島を石だけの構成による四つの意匠で表現した。その中の三神仙島(蓬莱、瀛洲、壺梁)には、6mほどの長い石を、立石とのバランスをとりながら横に寝かせて表現している。このような石の扱い方は、古庭園における意匠では、ほとんど例がない。三玲自身が戦前に実測した庭園の中には、そのような庭園は含まれていなかった。よって、この長石を使用することによって、極度なまでの立石を、この大きな横石によってバランスを保つようにしたところが、従来までの石組手法とは異なる新たな提案であった。これによって、三玲自身の新しい石組手法が確立されたといってよいであろう。それほど彼にとってこの石組のもたらした意味は大きかったのである。彼が古庭園の中に大きな横石が使用されている例を知ったのは戦後のことで、この時の彼の心中は、やはり時代の先端を行く作庭家がいたことに驚きを持ったであろうし、また知らなかったことによる新しい自身の発案が、やはり先端的な造形感覚を持っているのだということを、改めて大いなる自信となって胸中に刻まれたのではないかと考えられることも、あらためて付記しておく。

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築山のこと

また南庭内にある築山にも、新しい息吹を吹き込んでいる。従来は自然の山の表現であった苔山を、京都五山として表現したのである。しかもここでは一切石を使用せず、山の大きさや高さによって、造形的な美を追求したのである。また一番奥の築山と、その左側は、できるだけ土塀寄りまでたかさを保ちたかったので、最土塀寄りの部分は、建物からの観賞からは見えないように土留めの石積が成されている。このような手法も実測から得ており、彼にとっての古庭園内における工夫は、自身の作庭において一つ一つが大きな財産になっていることが伺える。

苔と白川砂の仕切

またこの築山のところは、斜線上に苔と白川砂の仕切りが設けられ、このようなはっきりとした直線構成を庭園の中に用いたことも、三玲らしい手法として受け止めがちであるが、これも江戸時代初期に活躍した小堀遠州の表現方法からヒントを得ていることは、容易に想像が付く。遠州は御所内において、切石による直線護岸の方形池や花壇だけの庭園を作っていることなど、相当に進歩的な庭作りをしていたことが知られているが、遠州に対しての果敢な挑戦とも受け取れるのではないだろうか。またこのように斜線による構成のため、次の西側の庭園へと繋げていく動線的な役割も示しており、この手法は、この後続く西側、北側の庭園においても用いられ、本庭の暗示的な線構成とも取れる。