拝観

  1. ホーム
  2. 拝観
  3. 国指定名勝 東福寺本坊庭園 のご案内
  4. 北庭

00000

東福寺本坊庭園のご案内

 
北庭

北庭のこと

勅使門から方丈に向けて敷きつめられていた切石を再利用してできあがったのが北庭の小市松模様の庭園である。まさに西庭の大市松を受けてさらに小さな姿となり、そして東北方向の谷に消えていくという表現方法である。
本庭の最初の部分は、西庭の市松を受け継いでいるために、ほぼ正確な市松で配置されているが、程なくしてそれが崩れていき、そして最後はポツン、ポツンと一石ずつ配しながら消えていくという配置構成になっている。この最後に一つずつになるような所は現在のような苔ではなく、白川砂内におかれていたことが、やはり作庭直後の写真を見ると判る。しかもこの白川砂と苔との仕切の線が、三玲が得意とした州浜状の曲線が用いられており、この辺りのコントラストも考えたうえでの設計であったことがわかる。

  • 1
  • 1
  • 1

このようなヒントを思いついたのは、三玲自身が、学生時代に日本画の勉強をしていたことが大いに役立っている。絵画の世界では、境目の部分をぼかすことによって、多彩な表現を試みるが、庭園の世界では、ボカシという表現方法は見当たらないのである。ここに着目できたのも、三玲が絵画の分野で勉強したことが、大いに役だったのである。さらに、東福寺本坊庭園を設計する直前まで、日本全国の古庭園実測調査大きな要因といえる。
現状においては、この州浜状に区切られた苔と白川砂の線は、完全に苔に覆い尽くされている。日本庭園で使用する地衣類は、やはり苔が抜きんでた美しさをほこるが、苔の生育条件はとても厳しく、維持するだけでも大変な労力が必要である。ところが東福寺本坊においては、ちょうど真横に谷があって川が流れており、苔の生育に適した空中水分が得られることから、白川砂内にどんどん苔が繁茂していき、その結果、現在のような状態になっている事を付記しておく。しかしながら、現在の情況も大変美しく、苔の中に散らばる板石の風情も捨てがたいものがある。竣工した当初の写真や、設計図、三玲の書き残したものなどは、資料としてしっかりと残されているので、現状がどのように変化していても、ただちに竣工時の姿に戻すことは可能である。そこで現状の苔に覆われた姿を維持していくことも良いなのかも知れないと思っている。